2018年2月8日木曜日

牡蛎には日本酒とワインのどちらが合うのか?

日本酒と料理のフードペアリングというテーマは、
もう何十年も議論されていますが、
いまだにこれといった確立されたセオリーというものはありません。
それは、
フードペアリングというテーマが人の官能に基づいた主観的なテーマであり、
また、料理というものが素材・調味料・料理法によっていかようにも変化すること、
そして素材そのものも季節や産地によってまったく異なった味わいであることなど、
ペアリングのパターンがあまりに多すぎるというのがひとつの理由でしょう。
また、
それに合わせる酒の方も、その分類があいまいで、
酒がどういうタイプの酒であるか、確たる分類法が定まっていません。
特に日本酒の世界は長く特定名称に縛られているので、
特定名称と酒質をリンクさせて考えたがるのですが、
料理との相性における酒のタイプとは、
しばしば特定名称とはかけ離れた分類になるものであると思います。

日本酒の国際化を促進するにあたって、
特にワイン文化が根付く欧米では、フードペアリングを避けて通れませんし、
食中酒と言ったとたんに、彼らはフードペアリングを想像します。

ただし、ワインと日本酒のフードペアリングを並列的に比較するのは、
少し無理があるように思えます。
それぞれの酒が育ってきた食文化の背景と、
ワインと日本酒という酒そのものの質的な違いがあるからです。

例えば、
皆さんは酒と料理を交互に飲んでおられると思いますが、
酒を飲んでから料理を食べた時に
口にある酒の味が料理にどのような影響をもたらすか。
逆に、
料理を咀嚼したあとに酒を飲んだ時、
口の中に残る料理の味は、酒にどのような影響をもたらすか。
そもそも、
料理を口の中に残したまま酒を飲んで混ぜ合わせるのか、
料理を飲み込んでから酒を飲むのか。

飲んで食べるという行為を考えただけでも、
複数のパターンがあり、
それぞれに感じるものは異なるのです。

日本食は元来さっぱりとした食べ物で、
日本酒も、どちらかといえばさっぱりとした飲み物です。
そして、
日本の伝統的な酒席では、
酒を基本として飲みながら、
口直し程度に少量のつまみをつまむのが普通でした。

ですから、日本におけるペアリングとは、
ガツガツ飲み食いするというよりは、
チビチビと酒や料理の余韻を楽しむというのが基本になっていると思います。

こってりとした料理をワインの酸で洗い流すとか、
肉の脂身とワインのタンニンを混ぜ合わすことで、味わいが和らぐとか、
第3の新しい味わいが生まれるとかいう発想とは、
ちょっと基本的に異なる部分があるのです。

その違いをしっかりと理解したうえで、
国際化をはかる日本酒は次の次元のフードペアリングを目指さなくてはなりません。

日本の食文化も近年大きく変化し、
西洋化、国際化が進みました。
その背景をベースにして、
日本酒の多様性も大きく進展し、
淡麗な酒から濃醇な酒まで、
甘い酒から辛い酒まで、
またワインのような高い酸味を有した酒も出てきました。
ひとつの酒を最初から最後まで飲んでいた従来の酒文化とは、
まったく発想の異なるペアリングが、今こそ求められているはずです。

今後の日本酒の国際戦略を進めるにあたって、
日本酒業界では、魚介類をターゲットとして、現地のワインマーケットを攻めようと言っています。
農水省が中心にJETROの外郭団体として日本産食品のプロモーションをミッションにスタートしたJFOODOでも、
生の魚卵など、ワインの弱いとされている食材をキーディッシュとして
日本酒の強みをアピールしてゆくという作戦を打ち出しています。

そんなこともあり、
先日、有志の仲間と牡蛎をテーマにしたワインと日本酒の比較試飲会をやりました。
生牡蛎、蒸し牡蛎、牡蛎のマリネという3種類の食材を用意し、
吟醸、生もと純米 の2種類の日本酒と、
サンセール、有機ロゼ の2種類のワインとの比較テイスティングです。

詳細な結果をここに記すことはしませんが、
日本酒を飲んでから生牡蛎を食べた時、
生牡蛎のうまみがぐっと増すのが良くわかりました。
2種類のアミノ酸が合わさった結果、うまみの相乗効果があらわれたのだと思います。
ワインだと、どうしても生臭みがつきまといます。
少なくとも、生牡蛎のペアリングでは日本酒に軍配が上がるのだろうと、
嬉しく思う勉強会でした。

フードペアリングは深い話なので、
勉強しながら、
私自身が少しずつ深めてゆきたいと願っています。




2017年12月8日金曜日

くーす(古酒)

久し振りに強く印象に残る酒に出会いました。
泡盛の古酒です。
本格焼酎の蔵元の集まった懇親会で、
とある泡盛メーカーの社長がカバンの中から取り出した秘蔵の瓶。
来歴の細かいストーリーは忘れてしまいましたが、
30年古酒が多くブレンドされた、「あるだけしかない」お酒です。

最初は、まろやかできれいなという印象より強いものはなかったのですが、
時間が経つほどにやわらかく甘いバニラの香りが際立ってきます。
これはもう泡盛の独特な風味とはまったく違った、
素晴らしく上質な香りです。

良いスピリッツとは、
やはり香りなのだと強く思いました。
この上質な香りを知ると、
何度も何度も嗅いでみたくなり、
そこから離れられなくなってしまいます。

泡盛以外の本格焼酎も含めて、
実は私は甕貯蔵の酒にあまり良い印象を持っていませんでした。
特に目の粗い安物の甕に貯蔵された酒は、
独特の泥臭い、田舎っぽい香りがあって、
いくら口当たりがまろやかになっても、
これが高価に売るだけの価値があるとは、どうも思えませんでした。

見た目は良くても、
琺瑯タンクの方が好き。

以前、だいぶ昔のことですが、
球磨焼酎の蔵元を訪れた時、
内側まで釉薬が塗られた甕がたくさん並んだ貯蔵庫で、
同じく何十年も経った古酒を飲ませて頂いたことがあります。
この酒は、忘れられぬ強い印象を残してくれました。

そんな酒に出会うことはそれほどありませんが、
出会う喜びは格別ですし、
一生忘れない印象が残ります。

これがあるから、
やめられないのかな。

久し振りの嬉しい夜でした。

2017年12月4日月曜日

Bio日本酒について

もうずいぶん昔のことになりますが、
酒類流通の仕事をしていた頃、
仕事の関係で自然派の酒造りをする蔵元に出会ったのがきっかけでしょうか、
「オーガニック」とか「自然派」という言葉の響きのカッコよさと
時代の一歩先を行く誇らしさのようなものから
ライフスタイルとしてのナチュラル指向に興味を持ってきました。

「有機栽培米使用」とか「オーガニック清酒」と記した日本酒があると、
興味を持って出来るだけ口にしてきましたが、
なかなか腑に落ちる商品に出会ったことがありませんでした。

その頃から、
「オーガニックだと酒の味の何が違うのだろう?」
「オーガニックだからって美味しいと言えるのだろうか?」
こんな素朴な疑問がつねに頭のなかにモヤモヤとしていました。
要するに高い対価を支払って買う価値があるのだろうかということです。

オーガニックやマクロビを信奉する方々は、
なんとなく理屈っぽくて、
それでいて良いとなると宗教みたいに頑固で、
どうも少々面倒くさいイメージがあります。

実際に、流通としてオーガニック系の日本酒を取り扱ってみて、
その価値を人に伝えることはとても難しいということも経験しました。
なかなか、簡単に売れるものではありません。
カッコいいだけで、人はお財布の紐を緩めてはくれないのですね。

ただし、ひとつ言えることは、
自然派系の日本酒を真剣に造り続けている方々は、
とても人間的に素敵な方が多いということです。
それは、自然派の原料調達や酒造りのプロセスが、
売るがためにという目的で続けられるほど楽な仕事ではなく、
本気で骨を埋める気持ちを持ってなくては出来ない仕事だからなのかもしれません。

自然派に詳しい知人から、ここを見てきたらいいよと言われて、
千葉県神崎町の寺田本家を見に行き、
先代社長の書かれた「発酵道」という本を読んだことが、
私にとっては大きな転機になりました。

「道」というほどに徹することは、人の心を動かすものだという驚き。
そして、その「場」に働く人や集まってくる人々の醸し出す、
何とも言えぬ「良い雰囲気」です。
一言でいえば、「気持ちの良い蔵」。
味の云々とは違う次元で、繋がっていたいと思わせる雰囲気力です。

これはひょっとして私も洗脳されてしまったのかと、
ちょっと怖くなりました。
でも一方でひとつの納得感がありました。
そこに居たくなる場所、
その人と一緒にいたいと思わせる人、
その酒を飲んでいるという満足感、
それは、「気持ちの良さ」という価値観の尺度であり、
間として抗えぬ絶対的な魅力であるということです。

つまり、
自然派の酒の価値とは、
これまで私が酒を評価してきた基準とは、
別の次元の基準をもってはからなくてはならない。
その酒自身が、「気持ち良い」という雰囲気を醸し出しているか、
その酒を飲んだ人に、その「気持ち良さ」が伝わる力を備えているか。
そんな価値観を持ってはからなくてはいけないのではと思うのです。

私は、この「気持ち良さ」という基準が、
自然派日本酒の価値をはかる自分にとってのひとつの基準だと思っています。
これは、酒のうまさをはかる基準ではなく、
酒の原材料、造り手、酒蔵、売り手、売り場が、
偽りのない「本物」であるかをはかる基準なのかもしれません。

そのうえで、酒はやはり酒としてのうまさを求めなくてはなりません。
自然派など気にしていない普通の人にとっても、
その酒はおいしい酒であるのか?
この双方を兼ね備えた酒がもし市場に現れたら、
その価値は限りなく大きいと、
私はそう思います。

2017年11月28日火曜日

本格焼酎の挑戦を望む!

「本物の焼酎とはこういうものですよ」
「本当においしい焼酎の飲み方はこうですよ」

様々な焼酎の蔵元の方々とお付き合いをするようになって感じたこと。
特に鹿児島の蔵元にはこの傾向が強いのですが、
焼酎の原点や、地元で愛されてきた品質や飲み方に対する強い愛着と誇りを持っている方が多いと感じます。
いかにも九州の男らしい、まっすぐで頑固な姿は、
カッコいいし、素晴らしいと思います。

「いやぁ、でも東京ではもう少し香りが華やかで芋臭くない、すっきりとした酒が売れると思いますよ」
と軽く申し上げた言葉が、
「そんなまがいものの芋焼酎しかわからん奴にうちの焼酎を売って欲しくない」
と、強烈な逆襲を受けて、危うくケンカになりかけたこともありました。
トラウマというくらい、すごく印象に残っています。

自分の生まれ育った地元と、自分の造る酒に誇りと自信を持つことは大切です。
確かにそれが原点だと思います。
でも、
私はやはり今でも変わっていないようです。
市場を学んで、市場に受け入れられる酒質を目指す。
それは、別に自分の原点を捨てるということではなく、
「成長する」ことだと思うのです。

市場は日々変化しています。
人々の嗜好もどんどん変化しています。
昭和の時代とはかなり違う毎日の食事で育ってきた平成の世代に、
昭和の原点を押し付けても無理でしょう。

「麹で作る本格焼酎は、水やお湯で割り、食中酒として原料由来の風味を楽しむ飲み物」
「それが世界のスピリッツと違う、日本の本格焼酎の特徴である」

この定義(?)のような思い入れに、
私はずっとどこか違和感を覚えてきました。
なんとなく、
かつてケンカしそうになった蔵元の言われるような、
こちらの思い込みの押し付けではないのかなという気持ちが拭えませんでした。

先日、中央会主催の飲食店向け勉強会が ぐるなび大学 で行われました。
そのなかで、元レカンのソムリエ 大越基裕さんのレクチャーを聴いて、
長年の私のムラムラした思いに、ひとつの解答が見えました。

大越さんは、
「本格焼酎を割ってカクテルにすることを恐れるな」と言います。
ほとんどの人は、割ってカクテルにするならクセのない甲類焼酎がいいと思っているが、
無味無臭のアルコールで割るのは、素材の風味を薄めているだけで、何の付加価値もつけていない。
カクテルとは、異なるものを合わせて新しい価値を生み出すところに意義があるわけであるから、個性のある本格焼酎を使わなくては、薄めて酔っ払う以上の価値が何もないではないか、ということです。

カクテルというと、なんとなく次元の違うものを思い浮かべるかもしれませんが、
例えばレモンサワーを想像してみたら良いと思います。
レモンサワーは立派なカクテルです。
そして居酒屋の主力商品であり、今はブームとさえ言われています。
大越さんが現在経営しておられるベトナム料理屋では、
蜂蜜などを入れた特製のシロップに漬け込んだレモンを、壱岐の麦焼酎で割ってレモンサワーを作っておられるということです。

そう考えてみると、
芋焼酎の皮と黒麹、そして蒸留という製造過程に由来する特徴的な香り、
ゲラニオール・シトロネオール・リナロールは、柑橘類の香りです。
芋焼酎でレモンサワーを作ってみたくなりませんか?

レモンサワーの市場に本格焼酎が欠かせない存在になったら、
市場の広がりは桁が違います。
色々な人が、様々な個性豊かなレモンサワーを競い合い、
それを店の売りにするような状況が生まれれば、
かなり面白い市場が見えてくると思うのです。



2017年11月6日月曜日

コンペティションによって磨かれる日本酒の価値基準

成田空港の免税店で日本酒のプロモーションのお手伝いをした時のことです。
イギリス人の旅行者から「日本のウイスキーはどこで売っているの?」と聞かれてびっくりしました。
私のなかで、ウイスキーとはイギリスの飲み物で、ヨーロッパ土産に買って帰るものだと思っていたからです。
「日本のウイスキーは品質が高いって評判よ」
との言葉を聞いて、なるほどと頷きました。
国際的に権威あるコンペティションで世界一に選ばれたという評判が、
いつの間にか日本を訪れる外国人旅行者のなかに根付いた結果なのですね。

消費者が酒を知る術は意外に少ないものです。
自分で酒の勉強をしたり、雑誌の特集号を買ったり、
試飲会に参加したりする人は、ごく一握りの消費者に過ぎないという当たり前の事実を、
とかく業界のなかにどっぷりと浸かっている私たちは忘れがちです。
ほとんどの消費者にとって、おいしい酒の情報はマスメディアや人の噂(口コミ)を通じてしか入ってこないのです。

日本のウイスキーが世界の市場で戦えるようになった背景には、
世界的なウイスキーブームという良い流れに、
国際コンペティションで最優秀賞をとったというニュースが重なったことが大きく影響していると思われます。
このウイスキーメーカーが長年にわたって国際コンペティションに応募しながら世界に負けない品質向上を目指してきた結果が、最優秀賞の受賞に結び付くことがなかったら、
私のであったイギリス人の旅行者は、日本でウイスキーを生産していることすら知らなかったかもしれません。

世界的な日本酒の広がりという良い流れは、ウイスキーにシンクロします。
次のステップは世界の消費者の噂話になるような情報活動を行うことです。
すでに国を挙げた日本酒のバックアップ体制が整えられつつありますし、
酒造組合中央会でも非常に高いプライオリティーをもって海外戦略が繰り広げられています。

市販酒の国内外コンペティションも様々なものが現れてきました。
日本人に限らず、消費者は酒を知るための目安として権威による格付けを求めています。
新酒鑑評会のような技術審査会とは異なる、バラエティーに溢れた市販酒の価値は、
決して一律ではあり得ません。
様々な国内外のコンペティションがまず切磋琢磨することによって日本酒の価値基準が磨かれ、
真にクオリティーの高い評価とジャーナリズムに繋がってゆくことが、
世界における日本酒の価値を高め、
上質な食生活に欠かせぬ存在になることを信じています。

2017年8月2日水曜日

芋焼酎を面白くしたい

先日、鹿児島本格焼酎技術研究会において講演の機会を頂き、
久し振りに鹿児島へ行ってきました。

2003年頃から始まった芋焼酎ブームの頃、
流通の世界で働いていた私は、何度も鹿児島を訪れました。
色々な蔵を回って、
色々な造り手と話をして、
喧嘩をしそうになったこともありましたが、
それまで東京育ちの私には身近でなかった芋焼酎というものが、
初めて手の届くところまで近づいてくれました。

焼酎を通じて出会った鹿児島の人々との触れ合いを通じて、
私は鹿児島と鹿児島の人が大好きになりました。
無骨ながらも暖かく、人情味に厚い気質。
仲間を助けようとする男らしさ。

だから、私は本格焼酎には頑張ってもらいたいと、
いつも心のなかでエールを送っています。

さて、あの夢のような芋焼酎ブームを経て、芋焼酎は全国的に認知され、
薩摩のローカルドリンクから、ナショナルドリンクとなりました。
最初は、一部の地酒専門店が仕掛けて、
日本酒と同じようなブランド志向からスタートした芋焼酎ブームでしたが、
この流れは大きな奔流となり、
一部のマニア垂涎商品から、
大衆のコモディティ商品という、大きな市場を形成するにいたりました。

この大きなコモディティ商品市場の受皿となったのは、
霧島酒造という、意欲的なメーカーです。
大衆の支持を得る的確な商品開発と、時宜を得た設備投資によって、
霧島は、みるみるうちに国内の國酒最大手メーカーにまで上り詰めました。
ほんの40年前にはほとんどなかった本州の芋焼酎市場は、今やすっかり定着し、
確実にファン層を形成しています。

ただ、市場拡大が頭を打ってきたとき、
大手一強の構図が鮮明になってきました。
相変わらず伸び続ける霧島酒造と、下がり始める中小蔵という構図です。
大きくなった市場のなかで、これから先、中小蔵が生き残ってゆくためには、
次のフェイズに移行しなくてはなりません。

今年の4月に政策投資銀行と日本経済研究所が出した「新しい焼酎の時代」という論文に、
そのヒントが記されています。

大衆のコモディティ化することによって市場を得た本格焼酎は、
今度は新たな多様化への模索を始めなくてはなりません。
そうしないと、大手一強の構図はさらに強まり、
中小蔵が必要とされる市場が本当に小さくなってしまうからです。

本格焼酎にとっての多様化とは、何なのでしょう。

私が考えるこれからの本格焼酎が探求すべき多様化とは、
香りの深化であり、
ブレンド技術の深化であり、
テロワールの模索であり、
さらにはジャンルを超えた新しい酒の模索です。

スピリッツは、香りの飲みものです。
香りこそが、スピリッツにおいて最大の魅力であり、
差別化の最大のフックです。

本格焼酎は、日本酒との対抗意識からか、度数を下げて食中酒にという意識が強すぎました。
本来、自分はスピリッツなのだという意識が薄れてきたとともに、
自らが拠って立つべき立ち位置を見失ってはいないでしょうか?
私は、本格焼酎は一度原点としてのスピリッツに立ち返り、
そこにある自らの価値を磨きなおすべきだと思います。
そのうえで、飲み方や料理とのペアリングをもう一度再構築すべきだと思うのです。

香りを深化するためのブレンド技術があり、
香りを深化するためのテロワールがあります。
野菜である芋には、ブドウに負けぬテロワールが必ずあるはずです。

ジンがブームになりつつあります。
クラフトジンという言葉が市民権を得てきました。
ジンの命は香りです。

本格焼酎が、Craft Shochu と呼ばれるために何が必要か。
是非考えてみましょう。

2017年6月20日火曜日

酒のデザインと表示内容について

デザインは、酒の売れ行きを決める大きな要素です。
「そんなことはわかってますよ」、とおっしゃる方も、
是非もう一度、自分の商品を見直して、
本当にこれで良いのかどうか考えてみて下さい。

デザインの意義とは、「伝える」 ことだと思います。

自分が商品に込めた思いや、表現したかった味わい、
そして飲み手にどのように楽しんで欲しいか、
そんな情報を、限られたスペースを使ってどれだけ的確に伝えることができるか。
それがデザインに求められているのだと思います。

デザインというと、カッコ良さと考えておられる方もおられると思います。
確かに「カッコいい」 とか 「おしゃれ」 という要素はあります。
でも、それらにしても、
やはり作り手が飲み手に伝えるメッセージの一部だと思うのです。

だから、
商業デザインは「ユニバーサル」で「合理的」な情報媒体であると考えるべきです。

では、酒にとって「伝えるべき情報」とは何なのでしょう?

酒を買う消費者が知りたがっているのは、
その酒がどのようなタイプの味わいで、
どのように飲むのが美味しいか、ということに尽きると思います。

さっぱりした酒なのか、コクのある酒なのか。
香りの高いさけなのか。
甘い酒なのか、とても辛い酒なのか。

おでんと一緒にお燗で飲むのがおいしい酒なのか、
白ワインのように洋食やチーズと楽しむのがおいしい酒なのか。

例えばおでんと飲んでおいしい酒に、
ブルーを使ったラベルや、可愛いくまさんのイラストが入っていても、全然ピンとこないでしょう。
色彩の与えるイメージは大きいものです。
そして、色彩は「イメージを伝える」という観点から選択されなくてはなりません。

色で伝えきれないものは、絵と言葉で補います。
これだけ日本酒がグローバルになってきているのですから、
英語の表記も含めて、必要十分な表現を是非検討して欲しいと願います。

例えば、甘い酒。
貴醸酒や甘口のスパークリングは、好みが分かれます。
これらには「甘口」とか「sweet」という明確な表現があってしかるべきと思います。
シャンパンにも、brut とか dolce という表現が使われているように。
それがないと消費者はとても不安に思いながら酒を買い、
辛口だと思ったらすごい甘口を飲まされてがっかり、ということになります。
これは絶対必要なことだと私は思います。

「さっぱりとした酒」や「コクのある酒」は、特定名称や「生もと」などの言葉で、ある程度表現できると思います。
味のタイプを示す表現のひとつという意味で、これらの言葉を表現する。
もちろん英語表記も含めて表現することが必要です。
特定名称や製造方法よりも良い表現があれば、どんどん取り入れたら良いと思います。

日本酒の業界は、
消費者に「伝える」ということを、長年にわたって怠ってきました。
ひとりよがりで上から目線のマーケティングを続け、
その結果多くの消費者を失ってしまいました。

日本酒の復権を本気で考えるのであれば、
やはり見るべきはマーケットです。
妙なプライドに縛られることなく、
虚心にマーケットを見て、
消費者が何を求めているのかを知り、
それを商品に表現してゆく。

今も昔も、ものを作る者の基本姿勢はそこにあるのではないでしょうか。