2017年6月20日火曜日

酒のデザインと表示内容について

デザインは、酒の売れ行きを決める大きな要素です。
「そんなことはわかってますよ」、とおっしゃる方も、
是非もう一度、自分の商品を見直して、
本当にこれで良いのかどうか考えてみて下さい。

デザインの意義とは、「伝える」 ことだと思います。

自分が商品に込めた思いや、表現したかった味わい、
そして飲み手にどのように楽しんで欲しいか、
そんな情報を、限られたスペースを使ってどれだけ的確に伝えることができるか。
それがデザインに求められているのだと思います。

デザインというと、カッコ良さと考えておられる方もおられると思います。
確かに「カッコいい」 とか 「おしゃれ」 という要素はあります。
でも、それらにしても、
やはり作り手が飲み手に伝えるメッセージの一部だと思うのです。

だから、
商業デザインは「ユニバーサル」で「合理的」な情報媒体であると考えるべきです。

では、酒にとって「伝えるべき情報」とは何なのでしょう?

酒を買う消費者が知りたがっているのは、
その酒がどのようなタイプの味わいで、
どのように飲むのが美味しいか、ということに尽きると思います。

さっぱりした酒なのか、コクのある酒なのか。
香りの高いさけなのか。
甘い酒なのか、とても辛い酒なのか。

おでんと一緒にお燗で飲むのがおいしい酒なのか、
白ワインのように洋食やチーズと楽しむのがおいしい酒なのか。

例えばおでんと飲んでおいしい酒に、
ブルーを使ったラベルや、可愛いくまさんのイラストが入っていても、全然ピンとこないでしょう。
色彩の与えるイメージは大きいものです。
そして、色彩は「イメージを伝える」という観点から選択されなくてはなりません。

色で伝えきれないものは、絵と言葉で補います。
これだけ日本酒がグローバルになってきているのですから、
英語の表記も含めて、必要十分な表現を是非検討して欲しいと願います。

例えば、甘い酒。
貴醸酒や甘口のスパークリングは、好みが分かれます。
これらには「甘口」とか「sweet」という明確な表現があってしかるべきと思います。
シャンパンにも、brut とか dolce という表現が使われているように。
それがないと消費者はとても不安に思いながら酒を買い、
辛口だと思ったらすごい甘口を飲まされてがっかり、ということになります。
これは絶対必要なことだと私は思います。

「さっぱりとした酒」や「コクのある酒」は、特定名称や「生もと」などの言葉で、ある程度表現できると思います。
味のタイプを示す表現のひとつという意味で、これらの言葉を表現する。
もちろん英語表記も含めて表現することが必要です。
特定名称や製造方法よりも良い表現があれば、どんどん取り入れたら良いと思います。

日本酒の業界は、
消費者に「伝える」ということを、長年にわたって怠ってきました。
ひとりよがりで上から目線のマーケティングを続け、
その結果多くの消費者を失ってしまいました。

日本酒の復権を本気で考えるのであれば、
やはり見るべきはマーケットです。
妙なプライドに縛られることなく、
虚心にマーケットを見て、
消費者が何を求めているのかを知り、
それを商品に表現してゆく。

今も昔も、ものを作る者の基本姿勢はそこにあるのではないでしょうか。

2017年6月15日木曜日

外国産清酒の事情

先日、精米機メーカーの新中野工業さんからお声がけを頂き、
7か国16醸造所の海外産清酒26アイテムをきき酒する機会を得ました。

たまに外国土産として現地で造られた酒を飲むことはありましたが、
これだけまとまって比較試飲をする機会はなかったので、
それはそれは貴重な体験となりました。

1979年に大関がカリフォルニア州ホリスターに本格的な清酒醸造所を作って以降、
宝酒造、月桂冠、桃川、八重垣などのメーカーがアメリカの西海岸に進出し、
清酒を生産してきました。
これらの醸造所は、主として普通酒を生産し、
比較的リーズナブルな価格でアメリカ各地に販売されてきました。
アメリカの日本食レストランで供される酒の多くは、これらの現地生産酒という時代でした。

その頃の和食や清酒に対するアメリカ人のイメージは現在とは随分違いました。
余程の親日家を除いた一般のアメリカ人にとって、
和食は物珍しい食べ物、
清酒はぼやっとした熱燗の酒という程度のイメージであったろうと思います。

2010年頃から、その流れが徐々に変わり、
2013年に和食がUNESCOの世界無形文化遺産に登録されて以降は、
和食が急速に世界のメジャーな食トレンドになりました。
それにつれて日本酒への興味も高まり、
日本から海外に輸出される酒のボリュームも急速に伸びています。

但し、日本から輸入される酒は高いのです。
普通の純米酒が運賃・関税や流通コストを乗せると$30くらいで販売されています。
これでは、なかなか一般の人が日常で消費することはできません。
おのずと現地生産の動きが出るのは当然の帰結です。
また、生酒など、醸造所立地でなくては飲めない酒の魅力も、
現地生産であれば伝えることができます。

アメリカは空前のクラフトビールブームで、
何千ものミニブルアリーがあると言われています。
その中で少しマニアックな指向の持ち主は、
ちょっと変わったものを造りたいと思って、清酒製造に興味を持つというケースもあります。

2015年以降は、加速度的にミニブルアリーの数が増えてきました。
それも完全ローカル資本の醸造所が増えているのが特徴です。

流れはアメリカにとどまりません。
日本酒のファンは全世界に広がりつつあります。
アメリカに近いカナダにはじまり、
ヨーロッパでもスペイン・イギリス・ノルウエー・フランスに清酒醸造所ができました。
最近ではメキシコにも清酒醸造所ができました。
まったく驚くばかりです。

海外産清酒の酒質を「いい酒だ、悪い酒だ」と評価するのは、
もう少し先のことになるのかもしれませんが、
こうした海外の動きは、日本酒業界にとって、それはそれは有難いことと考えなくてはなりません。
日本酒輸出の妨げになるかも、などど小さいことを言ってはいけません。
彼らは、日本酒の海外市場を間違いなく広げてくれる存在です。
市場がなくては、いくら良い酒を造ったところで自己満足を繰り返すだけの話。

それよりも、現地で造る彼らが、どのような味を指向してゆくのかを、
日本のメーカーは、マーケティングの視点から見て行かなくてはなりません。
日本と日本酒に憧れをもって事業をスタートする人たちは、
最初は日本で飲んで美味しいと思った酒を指向するでしょう。
でも、現地での時間が経ち、現地の一般消費者と向き合うなかで、
必ず酒質は新しい方向性を示すはずです。
その変化辿り、
その理由を求めてゆく過程から、
海外戦略とともに、国内戦略の大きなヒントが見えてくるはずだと私は思うのです。

2017年5月12日金曜日

酒のイベントについて(昨秋につづいて)

造りが終わって春になると、様々な酒のイベントが開催されます。
酒のイベントを集約したサイトは溢れそうな情報にアップアップしている様子。
私も最新の情報収集のために出来るだけ参加するようにしています。

長いこと色々なイベントに参加してくると、
徐々にイベントの様子が変化している様が何となく感じられます。

まずは県単位のイベント。
かなり以前から継続している島根県や秋田県のイベント以外にも、
首都圏に馴染みの深い東北・関東圏では、
今ではほとんどの県がイベントを開催しています。
そして、どのイベントもとても盛況です。
業者にとっては、多くの蔵の酒を一挙にきき酒し、
蔵元の顔を見て、話をすることができる場ですから、
商材の見極めをするのには極めて役に立つ会です。
県単位のイベントは、夜に一般消費者向けのイベントも行っているものが多いようですが、
これも大変盛況で満員になっているという話を聞きます。

その他にも様々な切り口のイベントが沢山行われています。
最近は「若手蔵元」というキーワードを切り口にしたものが多いですね。

これらは概して業者・一般消費者という区分を設けず、
興味がある方はどなたでもというスタンスであるものが多いように思います。

場の雰囲気にも随分気を遣うようになってきました。
「おしゃれ」で「フォトジェニック」な雰囲気にこだわる背景には、
インスタグラムなどで情報が拡散することを前提にして企画していることが見えます。
Aoyama Flea や、中田英寿の Craft Sake Week は、
かなり雰囲気良く、居心地の良いイベントでした。
おしゃれで雰囲気が良ければ、
消費者にとっては、自己イメージを高くする場として価値のある存在になってゆくことでしょう。
素晴らしいことだと思います。

中田英寿のイベントは今年が2年目ですが、
確実にレベルを上げて浸透し、見逃せないイベントになってきていると感じます。
このイベントの素晴らしさは、「場」と「期間」だと思います。

六本木ヒルズという決して便利とは言えない場所ですが、
屋根のある広いオープンスペースは、人を集めるイベントとしてはベストだと思うのです。
本当は日比谷公園のビアフェストのようなイベントが良いのですが、
青空イベントは天候のリスクが大きすぎます。
そこそこの広さがあるこの場所で、ちょっとおしゃれな雰囲気で酒を楽しめるのは、
何とも言えぬ大人の世界を演出していたと思います。

もうひとつ、このイベントは10日間という期間を設けました。
この期間に日替わりで異なる内容が展開されることにより、
特にSNSを用いた期間中の情報拡散が面白いように達成されました。
主催した中田英寿のブランドを向上させながら、
同時に日本酒業界にとっても、大きな貢献になったと私は評価しています。

このように大きなイベントを行うのはお金もリスクも伴いますから、
誰にでも出来ることではないでしょう。
でも、小さいにせよ、中くらいにせよ、
イベントを企画するからには、
何らかの意義を見出せるものにしたいですね。

最近行ったイベントのなかには、
とにかく人が多くてゆっくりテイスティングもできず、
蔵元とお話など到底できず、
一体自分は何をしにここに来ているのだろうと、
ちょっと虚しくなって、早々に帰ってしまったものもありました。

いずれにせよ、
これだけイベントが多くなってくると、
そろそろその中身を見直すことが求められると思います。
そうしないと、飽きられてしまいます。
誰に対して、何をアピールするイベントなのか。
しっかりと考えないと。

考えることって、大切ですよ。

2017年2月20日月曜日

地理的表示(GI)について

昨年末に山形が日本酒のGIに認定されました。
これで、日本酒に関わるGIは、ようやく3つというわけです。

GIといっても、恐らく業界に関わる多くの人にとっても、
何だかピンときていない様子が伝わります。
「で、なに?」 みたいな。

私もそんなひとりです。
それほどGIについて勉強してきたわけでもないし、
GIをとったからといって何が変わるとも思えませんでした。
でもそれは大きな間違いです。
GIは、恐らく日本酒にとって短期的な最大の課題かもしれないと
最近になって確信するようになりました。

日本酒関連で認定されたGIは、これまで3つ。
2005年に認定された「白山市(石川県)」
2015年に認定された「日本酒」
そして、昨年認定された「山形」。

それぞれが何となくバラバラな地域名称であるために、
全体としてのGIの意義が見えなくなっているのかもしれません。
そして10年以上も前に「白山」がGIに認定されているのに、
その事実を認識している市場関係者は極めてすくないですし、
当の白山の酒造家達でさえ、
白山のGIを大っぴらに名乗ってプロモーションしている様子は見られません。

でも、意義は果てしなく大きいのです。
「日本酒」とは、ざっくり言うと、国産米を使用して国内で製造された清酒。
「山形」は、国産米を山形の水で醸し、山形で製造された清酒。
「白山」は、国産で1等以上の醸造用米を白山の地下水で醸し、白山で製造された清酒。
さらに精米歩合70%以下で麹歩合20%以上などという条件もつきます。

このような生産基準の話ばかりしていると、
面白くないし、
しかもGIの本質を見失ってしまいます。
GIとは、本来地域の酒質と結びついたもので、
GIを表示することが、その酒質を保証するものです。

フランスワインのAOCを思えば、さらにわかり易い。
ボルドーの赤ワインと聞いただけで、
私たちはカベルネ・ソービニョンやメルローを中心に造った
濃いルビー色と濃密なアロマとシルキーなボディを想像し、
ブルゴーニュの赤ワインと聞いただけで、
ピノ・ノワールのベリー系のアロマと、
フルーティーで繊細ながらも、酸に支えられた強いボディを想像します。

このような産地イメージが、
それぞれのAOCに結びついていて、
それを知識として積み上げてゆくことで、
もっとワインの理解が深まり、かつ面白くなってゆくのです。

だから、
ワインのラベルには日本酒度や酸度、アミノ酸度などの細かな技術指標はなく、
消費者はAOCの表示だけで、かなり多くの情報を想像することができるのです。

海外から日本酒を見た時、
恐らく各地の産地イメージまで持てる消費者はほとんどいないでしょう。
知識はブランド名までで止まっていて、
「獺祭」は知っていても、山口の産地イメージはない。
「飛露枯」は知っていても、会津の産地イメージはない。
だから底が浅いのです。
「飛露枯」が手に入らない、もしくは予算に合わない時、
何を選んだら良いのかという選択基準が、
少し詳しい(時に思い込みの激しい)酒販店店主や飲食店店主の言葉しかないのです。

日本酒の国際戦略を考える時、
これはゆゆしき問題です。

日本の酒業界は、一日も早くGIを核とした産地イメージを確立するべきです。
行政区域に縛られず、
本当に産地の味わいを合理的指標で共有できる単位。
部落単位でも町単位でも、
どんな単位でもよいし、
小さい単位を包括する、「東北」なんていうGIが多層的にあってもいい。

この議論を地域ですることにより、
テロワールという、何となくわかったようなわからないような議論が、
もっと現実的で、
真に地域を差別化する福音として、認識されるようになるはずです。
地域が残ることによって、
地酒は生き残る意義を見出します。
そこにしかない酒。
他に代替できない酒。

酒が産業として歴史を刻み続けることができるか否か。
酒の未来は、我々の手中にあると言っても過言ではありません。

2017年1月17日火曜日

ブレンド酒

あまり難しいブレンドの技術を述べるつもりはまったくありません。
というか、そのような技術も知識もありません。
ただ、
「ブレンド」という言葉に私は強い思いと期待感を持っているのです。

日本酒の世界は限りなく若くてフレッシュなシングルカスクの酒に向かっており、
そのピュアでフルーティーな香味が、新しい消費層を獲得しています。
それは旧来の普通酒市場の飲まれ方とは違う、
新しい日本酒の世界を拓きました。
素晴らしいことです。

でも、
世界の素晴らしい酒に目を向けると、
そこには必ず「ブレンド」という言葉が介在しているように思えるのです。

私が最初に「ブレンド」という言葉の重みを覚えたのは、
フランスのシャンパーニュ地方に行った時のことです。
あれだけテロワールとヴィンテージにうるさいフランスのワインなのに、
何故かシャンパーニュはブレンドを基本として、
特殊な年にのみヴィンテージをつけてきました。
そして、
名だたるシャンパンハウスの味を守り育てるために、
気が狂うほどのテイスティングを繰り返し、古酒を含む数多くの原酒をブレンドします。
ですから、チーフブレンダーこそが要であり、シャンパンブランドの価値の礎になっているのです。

ウイスキーもそうです。
シングルモルトといえど、ブレンデッドといえど、
複数の樽をブレンドして、変わらぬその蒸留所の味を作り上げ、再現する作業は、
気が狂うほどのテイスティングを繰り返しています。
日本ウイスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝も、息子の竹鶴 威も、
優秀なチーフブレンダーでした。

日本酒にも「調合」と呼ばれる工程があり、
ブレンドの責任者がいます。
レギュラー酒には、その蔵の酒と飲んだ人が分かってくれる味の再現性が求められます。
何本もの仕込みを四季にわたって行う大きなメーカーでは、
信頼のおける調合責任者が大切な役割を果たしてきたはずです。

この技術を日本酒はもっと大切にしたらいいのにと、
ずっと思っているのです。

剣菱・白鷹・菊姫のように、飲めばわかる酒。
いつ飲んでも裏切られない酒。
大人の酒の行きつくところは、
そんな方向なのではないかと思ったりするのです。
そして、
ブレンドはそれを可能にする大きな技術足り得るのではないでしょうか。

酒は混ぜるとうまくなる。
試しに、家でやってごらんなさい。

2017年1月4日水曜日

コミュニケーションとしての日本酒

仕事柄、さまざまな外国の方と日本酒の話をする機会があります。
私が接するのは日本酒や日本の文化に興味を持っておられる方が多いので、
少なからずフィルターのかかった方々ではあると思いますが、
そのなかで感じるのは、
日本という国や、日本の文化というものに、
リスペクトを抱いている人がとても多いという事実です。
たとえフィルターがかかっていようが、
そのように思ってくれている方が沢山いるのだということだけで、
未来はあるなぁと思います。
それが人間というもの。

日本人・外国人を問わず、
誰かとお話をするとき、
コミュニケーションを成立させるためには、
なにか共通の認識が必要です。
それは、政治・経済かもしれないし、
アイドルかもしれないし、
猥談かもしれません。
自分の体験と認識から言葉になることを
他人と共有するのがコミュニケーションです。

私はこのコミュニケーションというものが、
とても素敵だと思っています。
自分とはまったく別の人格と経験を持った方々と
時間と場所と考えを共有し、
時には反発することもあるかもしれませんが、
とても楽しい、新しい経験を積み上げることもできます。

その相手が外国人であると、
喜びはさらに大きいわけで、
新しいことを知る喜びと
受け入れてもらえる喜びの両方を
とてもとても感じることができます。
外国に「はまる」人の気持ちって、
こんなところにあるのではないでしょうか。

日本酒は、
そんなコミュニケーションを成立させる小道具として、
とても優秀・有効なものです。
飲んで良し
語って良し。
飲むと、
さらに共有感と理解度が高まるのですから
これはすごいツールです。

大昔から、
酒は「気ちがい水」と言われながらも
そうして人と人を繋いできたのでしょう。
それぞれの国にそんな歴史があるはずです。
別に日本酒でなくてはいけないものではありません。
でも、折角日本人に生まれたのですから、
自分の血に流れている「米」のDNAを感じて欲しいと思います。

これって、まったく酒飲みの自己弁護ですね。


2016年11月7日月曜日

外国でつくる日本酒

それほど沢山の外国産日本酒を飲んだことがあるわけではありません。
でも、外国でつくる日本酒と聞いた時、
私のなかには期待する気持ちが大きいのです。

かじった程度の知識で酒をつくって、
どうせ大したものができるわけがない。
これが、恐らく多くの人が持っているイメージだと思います。
確かに、これまで味わったいくつかの外国産日本酒には、
独特の酸味と、洗練とは評価しにくい複雑味が感じられるケースが多かったのです。

ただ、
少しお金があって、合理的な考え方をする人間であれば、
日本でつくられる酒と遜色ない酒をつくることは、
それほど大変なことではないように思います。
技術はかなりの部分が数値化されていますし、
機械も発達しています。
足りない部分はコミュニケーション力を発揮して、
人のノウハウを教えてもらえばいい。

要するに、技術よりもマーケティングを考える人間の方が成功するのかもしれません。
これが総論です。

きっと、これから5年くらいの間に、
もっと多くの外国人や日本人が、
外国で日本酒をつくろうと醸造所を立ち上げるでしょう。
自分にチャンスがあればやってみたいと思うくらいです。

日本国内でも、新規免許がおりるでしょう。
免許制度は意欲のある新規参入者を拒んではいけません。
日本酒をつくってみたいと思う人間は、
外国よりも日本にたくさんいるはずです。

私は、こうして多くの新しい新規参入者たちが
国内外で酒をつくるようになればいいなと夢見ています。
そうなれば、きっと生産者も消費者も色々なことを考えるようになるでしょう。
そして、
何が本当に価値のあるものなのか、
何が自分にとっての個性なのか、
どこからどこまでが模倣で、
どこに決して模倣を許さぬ真の個性が存在しうるのか、
日本酒の価値というものの根本を考える日が
必ずくると思うのです。

自分もその議論に加わることができる近未来であることを祈りつつ。